高校演劇がなぜ素晴らしいのか。
あまりに直球なだけに、答えづらい問いかけなんですが、最近やっと、自分のなかで明確な答えが導き出されてきました。
もちろん人それぞれに答えがあって然るべき問いかけなんですが、私なりの答えはこうです。
高校演劇は、その作品をつくる過程で、生徒がぐんぐん伸びる姿が見られるから、素晴らしい。
演劇に限らず、私たちに身近な芸術作品は、二種類に分けられると思います。それは、いわゆる「ハイ・アート」というやつと「コミュニティ・アート」という二つで、前者はプロの劇団だとかプロのアーティストがつくるアートを指し、後者はアマチュアの劇団や地域のちょっとした個性ある人々がつくるアートのことを指す、と定義しましょう。
高校演劇は、まぁほとんどが「コミュニティ・アート」ですね。
世の中見渡してみると、芸術で喰っているアーティストはそこそこいて、彼らのつくる作品はそれなりに面白いわけです。劇団四季とかNODA・MAPとかですか。観客がそこに求めているのは、「レベルの高い芸術」で、これが「ハイ・アート」です。
しかし、「コミュニティ・アート」は、その作品の質が良ければそれで良いという話にはなりません。「コミュニティ・アート」の場合、作品をつくっていく中で、関わる人同士がコミュニケーションをとっていって自己成長していき、たまたまそれの最終形がレベルの高い作品だったらラッキーだね、という感覚で私は捉えています。
高校演劇は、そういう意味ですごく良いコミュニティ・アートの一つだと思います。演劇を教育に取り入れる試みだとかも最近はなされているようですが、それは決して最終形だけを求めているのではなく、質の高い「過程」をもとめているんでしょうね。
高校演劇で、生徒も顧問も、皆が成長していけたら素晴らしいな、なんて思います。